はじめまして。枝豆さくらと申します。
こんにちは!枝豆さくら@edamame_sakuraです!
「枝豆さくらのブログ」へようこそ。
本ブログでは、
私さくらが経験したこと、考えたことを日々更新していこうと思います。
一言でも、一行でも、あなたのお役に立てれば、嬉しいです。
今日は、改めて自己紹介をさせていただきます。
私は、関西在住の看護師です。
私は、小学校の時から看護師になることが夢でした。
看護師である母のようにカッコいい女性になりたかったからです。
私は、幼少期の頃、重度のアトピー性皮膚炎で、
いつも顔や、背中、腕、太ももの付け根、膝の裏は、
痒みとかさぶたで、血だらけでした。
夜は全身包帯でぐるぐる巻きで、朝になると、その包帯は血だらけになっていました。
そんな私の身体に毎日薬を塗り、包帯を変えてくれ、アトピーに良く効くと噂の温泉があれば、連れて行ってくれた母の姿はとてもカッコよく、
街中で倒れたおじいちゃんを助ける姿や、
私がコンクールの日に低血糖で倒れた時も母の適切な処置のおかげで、すぐに回復でき、無事に演奏を終えられ、
そんな母の姿に影響を受け、自然と私も看護師になりたいと思っていました。
母の反対「あなたには向いていない。」
しかし、高校3年生の夏、その母から看護師になることを反対されました。
「さくらには、絶対に看護師になって欲しくない。」
「せっかちやし、雑やし、向いてない。人を殺してしまう。」
「〇〇大学に行ってほしい。それ以外に進学するなら、学費は出さない。」
「ほんまになりたいんやったら、〇〇大学の普通の学部を出て、普通の仕事をして、自分でお金を貯めて、看護学校に行ったらいいやん。それでも遅くないやん。」
と言われました。
私は、母の言うように、指定された大学の法学部を出て、普通の銀行員になりました。
2年間、東京で銀行員をしました。
運よく、3大メガバンクの、緑の銀行から内定をいただきました。
(緑銀行の合併前の名称が「さくら銀行」なので、ブログ名を悩んでいる時に名称決定の理由になりました。)
しかし、やはり銀行員として働く理由を見出せず、
看護学校に行くお金が貯まったため、地元に帰り、看護学校に行くことに決めました。
この時も母から、猛反対をくらい、「恥ずかしい!大学に学位を返却してきなさい。実家に戻ってくることは許さない。」とまで言われました。
それでも私は看護師になりたい
姉の説得のおかげで、私は看護学校に入ることができ、
今は、看護師として地元で働いています。
(やっと最近、看護の話が母とできるようになってきました。)
看護師として働く日々は、とても楽しくやりがいがあり、毎日忙しいながらも、充実した日々を送っています。
また、現在の病院の入社式で、今の主人に出会いました。
主人は、入職して3年目の春、適応障害を診断され、退職を余儀なくされました。現在は職場を変え、分野を変え、元気に働いています。
ブログを始める目的
30数年の人生の中で、様々な悔しい思いを経験しました。
なぜ、親の決めた進路に従わなければいけなかったのか。
なぜ、新卒で看護師になることを許されなかったのか。
なぜ、自分の意志を貫くことができなかったのか。
なぜ、彼が適応障害にならなくてはいけなかったのか。
困ったとき、情報が欲しいと思ったとき、頼りにさせていただいた情報の一つに、様々な方のブログの【体験談】がありました。
自分のしんどい状況が自分だけではなく、他に経験した人がいて、
どのような思いを抱えながら、どのように乗り越えられたのか。
その人の一言が、一行が、私の選択肢を増やし、心を救ってくれたこともありました。
いつしか私も、情報を発信し、少しでも私の経験が誰かの力になればと感じるようになりました。もちろん、個人の一経験ですので、「こんな人もいるんだな~」という感覚で読んでいただけると嬉しいです。
さくらが経験したこと、考えたことを、日々更新していくことで、
一言でも、一行でも、誰かの役に立てれば嬉しいです。
これからどうぞよろしくお願いします。
枝豆さくら
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